病院の漢方薬に対する意味不明な理解

先日、なんとも奇妙な質問を受けました。
不妊治療の病院の医者が「病院で治療するのであれば、漢方薬を飲んでいると体にどんな影響があるのかわからないから、中止してほしい」と。

その医者がどういう意図で漢方薬の影響があると言ったのかわかりません。
ここからは、僕の勝手な推測です。

漢方は本来は、現在の体質を分析し、その体質に合わせて漢方薬を選びます。
漢方の効果というのは、病院の薬とは根本の概念からして違います。

病院の薬は、有効成分というものがあって、それが、決まった働きをすることがわかっています。

病院の薬の効果は基本的には体内の自然な働きとは正反対の不自然な働きによって、治療します。
痛みの伝達物質を遮断するとか、血管や気管支を無理やり広げるとか。
本来、現時点の体内の働きには、ない動きを体にさせて症状をなくしたりするのですね。

病院の薬が対症療法とか姑息療法とか、そのしのぎの治療だと言われているのは、一つには、こういった、自然にはない外的で人工的な働きにあります。
今の自分の体の中とは違う動きを薬を介して行うので、薬の効果がなくなれば、治っていた症状も再発するのです。

一方、漢方薬は、特定の有効成分が、ある一定の効果をおよぼすのではなく、いろいろな働きで体内のアンバランスを正しい方に導いて治療していきます。

例えば頭痛という症状が漢方的には体の水の巡りが悪く、その水が肩から上に溜まっている体質だ。と診断すれば、体の上部の水を体の下の方向に流れを変えていけるように促すのです。
これは病院の薬のように腎臓の利尿を刺激するホルモンでオシッコを強制的に出すようなものではなく、複数のいろいろな働きで、体の上に溜まっている水を下に流れるように促すのです。

漢方は、化学的な分析と関係がない法則で成り立っていますので、利尿成分というものが、あるわけではありません。

体質を分析した時に肩から上に溜まった上焦の水毒という診断の方法があり、その体質だと見た場合には、溜まった水を体の下方に促していく漢方薬がある。
という事実があるのです。

なので、漢方薬は病院の薬と違って、一部分の不調や症状などを一部分だけ薬で変えて治すというものではなく、上焦の水の巡りを促すことによって、体全体の水の巡りを元の頭痛のなかった時の正常な水の巡りの状態に戻すだけです。

なんで、この話をするかというと、ほとんどの医者は東洋医学の理論にのっとって、体質を診断したり、その体質を調整できる漢方薬を選ぶといった本来の漢方の方法をとりません。

病院の薬と同じような感覚で、漢方薬に、さも決まった有効成分があり、1つのわかりやすい効果があるかのように漢方薬を扱います。
(そんな効果や考えは漢方理論には一切ありませんが)

診断も漢方といえば「体質」を診断しますが、それも西洋医学の病名で漢方薬を選ぶといった感じです。

どこにも漢方治療というところが見えません。
ただ、単に漢方薬を使用しているだけで、治療行為とはよべないデタラメな方法が漢方の普通の治療方法のようになっています。

ちょっと横道に逸れましたが、漢方治療の目的は、その人の体質の中のアンバランスを見つけ出して、ニュートラルになるように調整するものです。

ところが、不妊治療で漢方薬を使用している医者は当帰芍薬散が女性ホルモンを活性化するとか、西洋医学の薬と同じ感覚で体の一部分に働きかけると思っているのではないのかと思います。

だから、冒頭の「病院で治療するのであれば、漢方薬を飲んでいると体にどんな影響があるのかわからないから、中止してほしい」という言葉でてくるのではないかと。

体質関係なく病院の薬のように1つの強い効果を持っていたら、確かに、その成分や効果が悪い影響になる可能性もあります。
薬の飲み合わせみたいなものですね。

しかし、漢方薬はホルモンを活性化させたりするものではなく、その人の本来持っていた力を取り戻すために使うものなのです。
だから、冒頭のセリフは「漢方薬を飲んでいると健康な状態になるから困る」と言ってるのと同じになっちゃいます。
病院の薬と漢方薬は似て非なるものなので、西洋医学の理論で考えてはいけないのです。

だいたい、ホルモン剤は、個人差を考えないで、誰でも同じものを使います。
人間のホルモンというのは、すごく微量でデリケートは働きのものなので、漢方薬が邪魔になるというのであれば、個人差を考えずにみんなに同じホルモン剤を使っている方がよっぽど問題なんじゃないかと思います。